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名大ファミリーにクローズアップ

「創部110周年を迎え、新艇庫の実現まであと一歩の今、思うこと」

今回は名古屋大学生命農学研究科准教授で、創部110年(!)という、伝統ある名古屋大学漕艇部の部長を務める 武田 真(しん)先生にお話しを伺いました。主将時代の苦悩と安堵の思い出、部長としての新艇庫建設への思い、そして漕艇部の近況についてご紹介いただきます。

名古屋大学農学部・生命農学研究科
准教授 武田 真 先生(漕艇部部長※2021年12月現在)

~「持つべきは友、探すべきは親切な人」~

昭和ヒトケタ生まれの厳しい父親、明治生まれの気高い祖母の影響を受けつつも、武蔵の国でぼんやりと育ちました。私が高校3年生の時の10月に妹が生まれたので、大学受験のための自宅学習の傍らで、0才の妹を寝かしつけたり、ミルクを温めてあげる、なんてことをしていました(ワンオペもしてました)。趣味は読書と散歩、植物を育てること。好きな言葉は「持つべきは友、探すべきは親切な人」。どちらも自分を豊かにしてくれる気がします。

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~入部のきっかけと、主将時代の忘れられない悔しい思い、それを糧に得た一体感~

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勝利のガッツポーズ(近年の名大クルー)

きっかけは、先に入部した友人に誘われて、ボートを漕ぎに行ったことです。新人コーチの先輩が上手に教えて下さったので、面白くなって、つい入部してしまいました。1年生のときには、名大のアイセックの活動にも参加させていただいていました。とても刺激的で楽しかったのですが、漕艇部での時間が増えて、両方は続けられませんでした。漕艇部の活動で最も心に残っているのは、自分が4年生で主将のとき、予算がないために大阪での名阪戦に艇を運べなかったこと。関西の某大学にお借りしたエイト艇に不備があったために、漕手の一人が殆ど漕ぐことができずに完敗し、クルー皆が悔しい思いをしました。責任をとても強く感じました。その後、練習をさらに工夫し、皆が漕ぎやすいリズムを追求しました。その甲斐あって、次の大会では予選でトップのタイムをだし、優勝を狙えるまでになりました。決勝当日は、愛知池の岸辺に見渡す限りの大勢のOBが観戦に来てくださいました。惜しくも3位となりましたが、なかなか自信をもてなかった下級生が頑張り、クルーの一体感が出たことを嬉しく思いました。悔しさが混じりながらも、ホッとした自分がいました。

~漕艇部の変わらない漕手気質と、現在の練習環境、皆で大切にする雰囲気の良さ~

私が現役部員だった頃は、部長や監督のお顔を拝見することは殆どなく、コーチは不在で、先輩が新人コーチをしてくださるのみでした。そんな状況では、自分達で考えて練習をするしかありませんでした。2年次には自分で運動生理学の勉強をし、1年生に紹介したこともありました。漕手の多くは、3年生や4年生のシーズン途中で引退し、裏方の仕事にまわりました。またマネージャーの数が少なくて、私が4年生の時には、練習のビデオは3回くらいしか撮影してもらえませんでした。引退した次の週からは、(艇庫飯とよばれる)合宿所の飯炊きのメンバーに加わりました。最近の漕艇部は、マネージャーが料理のみならず、沢山のマネージメント業務をしてくれますし、練習のビデオ撮影の機会も多くあります。近年はまた、トレーナーが専門的な知識を教えてくれます。監督、コーチは練習にも試合にも来てくれ、助言をしてくれます。競技成績も格段によくなっています。今の漕艇部は、部の雰囲気の良さを皆が大切にしていると聞いていますが、実際、そのように感じます。学生は一人一人違うので、比較するのは難しいですが、かつての自分のようなアクの強い部員は、今は少ないかもしれません。一方で、闘志を内に秘めている漕手が多いところは、今もあまり変わらない気がします。

~恩返しの気持ちに導かれて就任した部長職~

大学を定年退職される前部長とOB会の役員の方々に、部長就任を打診されました。その2年前にも自分は部長を務められないとお返事を差し上げたのですが、2度目に頼まれた時には、お引き受けしないといけないのかなと思いました。私はかつて、下級生部員の時には、上級生に多くの迷惑をかけたこと、上級生になってからは、下級生部員に厳しくあたってしまったことやマネージャーを泣かせてしまったことがあり、償いの気持ちもありました。また、主将のときには、当時の学生課のスタッフの方が私のことをすぐにおぼえて下さいました。試合に勝つと、何故か私が報告するよりも先に結果を知っていて、自分のことのように喜んで下さいました。部員数も今よりずっと少ない弱小チームだったのに、いつも気にかけて、声をかけてくださいました。そうしたことへの恩返しの気持ちもあったかもしれません。もうすぐ、部長になってから、当初OB会長に約束した5年が経つのですが、これを区切りに、理学部の相木先生に部長を引き継いでいただくことになりました。新部長は、私よりずっとスマートに部をサポートしてくれるだろうと期待しています。私は、部長経験者としての立場から、漕艇部を支えていきたいと思っています。

~艇庫・合宿所整備の必要性と、あと一歩に迫った新艇庫建設までの道のり~

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増築艇庫に収納された艇(OBOGからのご支援の賜物)

部長として初めて艇庫・合宿所に足を運んだときに、自分が学生のときと同じ建物が使われていたのに少し驚きました。本艇庫の台所の窓は、半分開いたままで、その状態から開けることも閉めることもできず、柱にはひびが入ったままです。その後の調べで、本艇庫は築50年の建物だとわかりました。私の父がビルの耐震設計の仕事を長くしていたこともあり、艇庫・合宿所の耐震性は大丈夫なのかが気になって、きちんと調べてもらうようお願いしましたところ、本艇庫の耐震性は予想以上に低いことがわかりました。すぐに就寝は禁止になり、厨房はトレーニング棟に移設することになりました。そこで、本艇庫の建て替えを含めて部活動への支援の呼びかけをお願いしましたところ、心あるOBOGや保護者の方、一般の方がたより、多くの寄附が集まりました。さらに、関係者のご尽力によって、艇庫・合宿所の設計を担当してくださる事務所が決まり、図面を作成して頂くところまで来ました。しかし、コロナ禍のために建設費用が高騰してしまい、これまでに準備してきた資金では予算が不足する見込みになってしまいました。新艇庫建設の実現まであと一歩なので、さらに多くの人の力をあわせていくことで、何とか状況を打破したいと思っています。

~2021年、創部110年の漕艇部。未来に新たな歴史を刻む部員たちを共に応援して下さい!~

この2年間、新型コロナの影響を皆が被ってしまいましたが、ままならぬことは誰しもが少なからず経験することかと思います。それでも、運命とよばれる入れ物にも、自分次第で内容を与えてゆくことはできるのではないかとも思っています。若い面々には、時に誰かの力を借りてもよいから、より良きものをつくりあげて欲しい ― そんなふうに思っていましたら、今年は漕艇部に、タスクチームなるものが新たにできました。これは、若手OBOGを中心としたサポーティングスタッフの集まりで、ボート競技の技術だけでなく、多面的に部員をフォローしていく体制です。さらに、部の雰囲気のよさに魅かれて、元気な1年生が30人ほど加わり、現在の漕艇部はとても活気があります。近年、女子部はインカレや全日本選手権で優勝・入賞するなど、素晴らしい実績をあげてきておりますが、今年は男子部にも、これまでとは違う変化の兆しがでてきています。それらが創部110年の漕艇部に、きっと新たな歴史を刻んでくれることと思います。名古屋大学特定基金では、練習環境の改善などの面から部員達を応援する「名古屋大学漕艇部艇庫・合宿所等整備支援事業」を設置しておりますので、皆様にも、本基金を通して、是非とも名大漕艇部のサポーターに加わって頂ければ、大変嬉しく思います。